
The Japanese Buzz Cafe
母の日が近づいてくると、街中にカーネーションがあふれて温かい雰囲気になりますよね。でも、ふと「そもそも母の日を誰が決めたんだろう?」とか「どうして5月の第2日曜日なの?」なんて疑問が湧いてくること、ありませんか?
実を言うと、今の形になるまでには一人の女性の熱烈な想いや、大統領の決断、さらには日本での意外な普及の歴史があったりするんです。この記事では、母の日が誕生したアメリカでの由来や、日本で今の日にちに定着した意外な理由、そしてカーネーションの色に隠されたメッセージまで、あなたが知りたかった疑問をすっきり解決しちゃいますよ。
- 母の日の創設者アンナ・ジャービスの感動的な誕生秘話
- 日本で母の日が5月の第2曜日に決まった歴史的背景
- カーネーションの色選びで失敗しないための花言葉の知識
- 世界各国のユニークな母の日の祝い方と習慣の違い
母の日を誰が決めた?アメリカで誕生した背景

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今の母の日のルーツを辿っていくと、20世紀初頭のアメリカにたどり着きます。一人の女性の「お母さんを大切にしたい」という純粋な願いが、いかにして国を動かす大きなムーブメントになったのか、その舞台裏をのぞいてみましょう。
アンナジャービスの母への想いと活動の由来

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母の日の創設者として最も有名なのが、アメリカのアンナ・ジャービスという女性です。彼女がこの活動を始めたきっかけは、1905年に亡くなった最愛の母、アン・リーブス・ジャービスへの深い敬愛の念でした。
母アンは、南北戦争後の不衛生な環境を改善しようと「母の日仕事クラブ」を結成し、敵味方の区別なく負傷兵を看病した、まさに「献身」の人だったんです。アンナは、そんな偉大な母を称えるだけでなく、「すべての子供が生前にお母さんへ感謝を伝える機会を持ってほしい」と強く願っていました。
1907年5月12日、アンナは母の追悼集会を開き、母が好きだった白いカーネーションを参列者に配りました。これが、母の日に花を贈る習慣の始まりと言われているんですよ。一人の女性の切実な想いが、やがて全米を動かす大きな力になっていったんですね。
ウィルソン大統領が定めた5月の第2日曜日
アンナの情熱的な活動は、単なる地域のイベントに留まりませんでした。彼女は政治家や有力者に手紙を書き続けるなど、母の日を公式な祝日にするためのロビー活動を粘り強く続けたんです。
その努力が実を結び、まず1910年にウェストバージニア州知事が公式に母の日を認定しました。そしてついに1914年、アメリカ合衆国議会が決議を採択。当時のウッドロー・ウィルソン大統領が、アンナの母の命日に近い「5月の第2日曜日」を母の日として国民の祝日にするという布告を出しました。
アメリカで母の日が法的に決まったポイント
- 1914年にウィルソン大統領が公式に布告した
- アンナ・ジャービスの母の命日に関連して「5月第2日曜日」になった
- 国を挙げて「母への尊敬と愛」を示す日として確立された
皇后の誕生日から始まった日本独自の歴史

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アメリカで始まった母の日ですが、日本に伝わったのは明治時代の末期と言われています。当初はキリスト教の宣教師たちを通じて紹介されたため、一部の教会内での行事という感じでした。
面白いのが、昭和初期の日本では今とは違う日に祝われていたことです。1931年(昭和6年)に、大日本連合婦人会が当時の香淳皇后(昭和天皇の后)の誕生日である「3月6日」を母の日と定めました。これは「地久節(ちきゅうせつ)」と呼ばれ、皇室への敬愛と母親への感謝を融合させた日本独自のスタイルだったんです。今となっては少し不思議な感じがしますよね。
森永製菓のキャンペーンが普及させたきっかけ
今の私たちにとって馴染み深い「プレゼントを贈る」という文化が全国的に広まったのは、実は民間企業の力が大きかったりします. その立役者が、お菓子メーカーの森永製菓です。
1937年(昭和12年)、森永製菓は豊島園で「森永母の日大会」という大規模なイベントを開催しました。なんと20万人ものお母さんたちが招待され、メディアでも大々的に取り上げられたんです。これによって「母の日=お母さんに感謝してプレゼントを贈る日」というイメージが、一般家庭に一気に浸透していきました。ビジネスの力って、文化を作る上でものすごい影響力があるんだなと実感します。
戦後のGHQによる日付の変更と現在の定着
戦前の日本では「3月6日」だった母の日ですが、戦後になって大きな転換期を迎えます。日本がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下にあった時代、アメリカの文化が次々と導入されました。
GHQの働きかけもあり、1947年(昭和22年)頃から日本でもアメリカ式の「5月の第2日曜日」に行うようルールが改められました。1949年までには全国的にこの日程が定着し、戦前の皇后誕生日に祝う習慣は姿を消していきました。こうして、私たちが今当たり前だと思っている「5月の第2日曜日」という日程が完全に確立されたわけですね。
母の日を誰が決めたか歴史を知れば花選びも納得
母の日の歴史を知ると、何気なく選んでいるカーネーション一本にも、深い意味があることがわかってきます。次は、贈り物や習慣にまつわるちょっとした豆知識を深掘りしていきましょう。
なぜカーネーションを贈る習慣ができたのか
母の日の花といえば、やっぱりカーネーションですよね。この習慣は、先ほど紹介したアンナ・ジャービスが、亡き母の追悼集会で「母が好きだった白いカーネーション」を贈ったことに由来しています。
アンナにとってカーネーションは、母の純粋な愛を象徴する特別な花でした。その美しさと、一輪でも凛とした佇まいが、当時の人々の心に深く響いたんでしょうね。ちなみに、カーネーションの学名「Dianthus」には「神の花」という意味もあり、古くから特別な花として扱われてきた歴史があるんですよ。
赤と白のカーネーションの意味と花言葉の違い

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母の日にお花を贈るとき、色の意味を知っておくのはとっても大切です。昔は、お母さんが健在なら「赤」、亡くなっているなら「白」を胸につけたり飾ったりするという区別がありました。
| 色 | 花言葉・主な意味 | 活用のヒント |
|---|---|---|
| 赤 | 母への愛、真実の愛 | 定番中の定番!感謝をストレートに伝えたい時に。 |
| 白 | 亡き母を偲ぶ、純潔 | 故人への供花として。存命の方には避けるのが無難。 |
| ピンク | 感謝、温かい心 | 柔らかい雰囲気で、近年とても人気があります。 |
| 紫 | 気品、誇り | 落ち着いた大人のお母さんへのギフトに最適。 |
注意したいポイント
黄色のカーネーションには「軽蔑」や「嫉妬」といったネガティブな花言葉が含まれることがあります。見た目は明るくて可愛いですが、お母さんに贈る際はメッセージカードを添えるなど、誤解されない工夫が必要かもしれません。
イギリスやタイなど世界で異なる日付と習慣

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「母の日を誰が決めたか」という答えは、実は国によってバラバラなんです。世界を見渡すと、日本やアメリカとは全く違う由来を持つ国がたくさんあります。
- イギリス:17世紀からの伝統である「マザーリング・サンデー」が由来。復活祭の3週間前の日曜日に祝います。
- タイ:シリキット国王妃(現・王太后)の誕生日である「8月12日」が母の日。シンボルカラーの青い服を着て、ジャスミンの花を贈ります。
- オーストラリア:日本と同じ5月の第2日曜日ですが、贈り物はカーネーションではなく「菊(マム)」が一般的。お母さんを呼ぶ「Mum」という言葉にかけているそうです。
お国柄が出ていて面白いですよね。もし海外の友人にお祝いを伝えるときは、その国の日付をチェックしておくと喜ばれるはずですよ。
こどもの日の法律に記された母への感謝の役割

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これ、意外と知られていないんですが、実は日本の法律でも「お母さんに感謝する」ことが決められている日があるんです。それは、5月5日の「こどもの日」!
「国民の祝日に関する法律」には、こどもの日の趣旨として「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とはっきり書かれています。つまり、5月の第1週(こどもの日)も第2週(母の日)も、実はお母さんに「ありがとう」を言うチャンスなんですね。ダブルで感謝を伝えてみるのも素敵かもしれません。
創設者が反対した商業化への抗議と本来の精神

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母の日の歴史には、ちょっと切ない裏話もあります。創設者のアンナ・ジャービスは、晩年、自分が作ったはずの母の日に激しく反対するようになりました。
というのも、彼女が理想としたのは「家族の間で静かに感謝を捧げる日」だったのに、生花店やカード業界があまりに商業的に利用し始めたからです。アンナは「お金を払ってプレゼントを買うのは、感謝の代わりにはならない」と激怒し、なんと母の日を廃止するための裁判まで起こしました。
彼女の極端な行動は賛否ありますが、「義務感でプレゼントを贈るのではなく、心からの言葉を大切にしてほしい」というメッセージは、現代の私たちも忘れてはいけない大切な視点だなと感じます。
豆知識:アンナの最期
アンナは全財産を投じて抗議活動を続け、最後は養老院でひっそりと亡くなりました。彼女が遺した「母の日」は、今も世界中で愛されていますが、その裏には創設者の強いこだわりがあったんですね。
母の日を誰が決めた?歴史と由来のまとめ

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さて、ここまで「母の日を誰が決めたのか」という疑問について、そのルーツから現代の形に至るまで詳しく見てきましたがいかがでしたか?最後に大切なポイントを振り返っておきましょう。
- アメリカ:アンナ・ジャービスの想いを受け、ウィルソン大統領が「5月第2日曜日」に決めた。
- 日本:かつては皇后誕生日の3月6日だったが、戦後GHQの影響で5月第2日曜日に変わった。
- 普及:日本では森永製菓などの民間企業のキャンペーンが、一般への認知を大きく広めた。
- 本質:カーネーションの色言葉や日付よりも、創設者が願った「母への純粋な感謝」こそが一番大切。
歴史を知ると、今年の母の日はいつもより少し丁寧に「ありがとう」を伝えたくなりますよね。プレゼント選びも大切ですが、ぜひあなたの言葉で感謝の気持ちを届けてみてください。きっとそれが、アンナ・ジャービスが一番望んでいた「母の日」の過ごし方なのかなと思います!
※歴史的事実については諸説ある場合もあります。より詳しい背景が気になる方は、歴史資料や公式サイト等もあわせてチェックしてみてくださいね。

